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秋田地方裁判所 昭和48年(わ)143号 判決

主文

被告人は無罪。

理由

一本件公訴事実は、

被告人は、昭和四八年一〇月一五日午後九時ころ、秋田市飯島字長山下七一番地の四二所在被告人宅玄関前において杉山忠幸(当三二年)からバツトで額を殴打されたので、右居宅内にたちもどり、同人を殺害しようと決意し、刃渡り約12.3センチメートルの繰小刀を持ち出し、右玄関前において、同繰小刀で右杉山の胸部を一回突き刺し、よつてそのころ同市飯島字長山下七一番地の二保坂ヨシ宅軒下付近において、大動脈刺創による失血死に至らしめてこれを殺害したものである。

というのである。

よつて、按ずるに、〈証拠〉を総合すると、本件犯行に至る経緯とその犯行状況につき、次のような外形的事実を認めることができる。

1  被告人は、昭和三四年頃から秋田市内の建友土建秋田出張所の作業員として稼働してきたものであるが、昭和四八年一〇月一五日午後五時頃仕事を終えて自宅附近の酒屋などで日本酒をコツプ三杯位飲んだのち、午後六時過ぎ頃から自宅で晩酌をしていたところ、午後七時頃、隣家の保坂寅治の妻フミと息子一男が同人方で杉山忠幸が酔つて暴れていると言つて被告人宅へ逃げ込んできたので、近所の家から派出所に電話をして警察官に来てもらい、保坂方で暴れていた杉山を説得して、午後八時半頃、ようやく、警察官が同人をその自宅に送り届けた。

2  ところが、同日午後九時頃、杉山が再び被告人宅附近路上に来て、「社長(被告人のこと)出はつてこい。ぶつ殺してしまう。」などと叫び、所携の野球用バツトで前記保坂宅の窓ガラスを割るなどの乱暴を働いたが、被告人はそれに取り合わず、暫くして静かになつたので、自宅玄関の戸を開けて一、二歩外に出たところ、同所にいた杉山から右野球用バツトでいきなり左前額部を一回強打されてその場に転倒した。しかし、被告人はすぐに起き上り、自宅奥三畳間の押入内の道具箱から繰小刀(昭和四九年押第二号の一)を持ち出して右玄関前に引返し、同所において、右繰小刀で杉山の胸を一回突き刺し、よつて、その頃、前記保坂ヨシ宅軒下附近において同人を大動脈刺創にもとづく失血により死亡させた。

二ところで、〈証拠〉によると、被告人は、捜査段階での取調に際し、本件犯行を全面的に自白し、ことにその動機や犯行状況について、「自宅玄関前でいきなり杉山忠幸に額をバツトで一回強く殴られ、頭がふらふらとなつてしまいその場に横に倒れたが、すぐに飛び起きるとまだ杉山がそこに立つており、このままでは俺が殺される、その前に杉山を殺してけるという気持になり、家の中に入つて奥三畳間の押入内の道具箱より繰小刀を持ち出し、玄関前に戻ると杉山は再びバツトを振り上げ殴りかかろうとしたので、右手で繰小刀を持ち、左手で杉山のバツトを押え、死んでもかまわないという気持で杉山の胸の辺りを右小刀で一回突き刺したところ、杉山はバツトを抱えたまま『痛て、痛て』と叫んで、保坂寅治方居宅方面に逃げて行つた」旨相当詳細な供述をしていたが、起訴後公判段階に及んで右供述を翻えし、「杉山からバツトで頭部を殴打されたあとの記憶は全くなく、気がついたら自宅台所に居て、額から血が流れていた。その間、繰小刀を持ち出したとか、杉山を刺したという記憶は全然ない」旨供述するに至つていることが認められる。そして、弁護人は、被告人の右捜査段階での供述は信用できず、被告人には本件犯行時の行動について記憶の欠損があり、この記憶欠損は、被告人が当時約七合の飲酒をしていたことに加え、杉山から額を殴打されて重傷を負わされたという生理的条件が複合的に作用し、意識障害に陥つた結果によるもので、被告人は本件犯行当時心神喪失の状態にあつたものであると主張している。

三そこで、先づ、被告人の右捜査段階での供述の信用性について、以下検討を加える。

(一)  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  本件犯行後の状況

被告人は、本件犯行直後、自宅台所において額から血が噴き出しているのに気づき、直ちに傷の手当のため保坂寅治方へ赴き、脱脂綿で血をふいたり傷口を押えているうちに止血したので、同所で寅治と酒をコツプ二杯位飲んで帰宅し、そのまま就寝した。

翌一六日午前六時三〇分頃、被告人は保坂フミより杉山が保坂ヨシ方軒下附近で死んでいたことを聞き知つたことから、その足で警察に電話するため近所の佐々木酒店へ赴き、佐々木チヨに対し、「俺タツコ(杉山の通称)のことやつたようだ、小刀でやつた。」と話しているうちに、近所の人の通報により駆けつけた警察官に参考人として任意同行を求められ、午前七時三〇分頃から秋田臨港署において事情聴取され、同日午前一〇時すぎ頃に至り犯行を自白し、殺人罪により緊急逮捕された。

2  被告人に対する取調状況並びに自白するに至つた経緯等

被告人は、右のとおり、本件犯行の翌日(一〇月一六日)午前七時三〇分頃から同一〇時三〇分頃まで、秋田臨港署において杉山忠幸殺人事件の重要参考人として第一回目の取調べを受けたが、当初は、杉山に頭部をバツトで殴られて倒れ、その直後五分か一〇分位記憶がなくなり、気がついたときは杉山はいなかつたと述べていたところ、右取調べ中に犯行現場にいた警察官より杉山が刃物で刺されている旨の無線連絡を受けた取調担当官から、このことを再三告げられて質問を繰返されるに及び、ここにようやく、「もしかしたら自分が刺したかも知れぬ。」と述べるに至つたが、更に右取調官から「もしかしたらということはないだろう、いくら酔つていても意識はあるはずだ。」と供述のあいまいさを追及された結果、同日午前一〇時すぎ頃に至り、本件犯行の概略を自供したため、午前一〇時二五分、被告人は殺人罪により緊急逮捕され、引き続き同日正午頃まで取調べを受けた。

ところが、被告人は午後になつて頭痛耳鳴を訴え、一旦五十嵐病院に行つて医師の診察やレントゲン検査を受けたのち、再び秋田臨港署に戻り、午後二時五〇分頃から午後四時二〇分頃まで現場検証に立会つた。被告人は、右現場において警察官の求めに応じて杉山を刺した場所やそのときの状況、兇器である繰小刀の所在などを指示説明したが、その際の被告人の態度は、必ずしも明快なものではなく、種々考えをめぐらす様子がみられた。

同日午後四時頃、右五十嵐病院の医師より警察署に対し、被告人の受傷につき三週間の入院加療を必要とする旨の電話連絡があつたため、被告人は、右検証より帰つて来てから、更に右警察署で午後五時頃まで取調べを受けて、前記の一〇月一六日付供述調書を作成されたのち、一旦釈放され、同日より右五十嵐病院に入院したが、同月二九日に退院と同時に改めて再逮捕され、その後の取調べにおいて本件犯行状況につきさらに詳細な供述をするに至つた。

3  被告人の受傷の部位程度並びに治療経過等

被告人は、本件犯行当日杉山から野球用バツトで頭部を殴打されたことにより、頭部打撲による頭蓋底骨の線状亀裂骨折の傷害を受け、左内耳の損傷による左外耳口よりの出血のほか、左顔面神経麻痺が認められ、右受傷の翌日頃には、頭痛、耳鳴、めまい、難聴、不眠、排尿困難等の自覚症状があつて、警察での取調べが連続二時間を超えると眼球振盪の発作が起り、途中で休んだ場合でも四時間以上の取調べには耐えることが困難な状態にあつたが、前記入院加療により強度の頭痛や排尿困難などが軽快したため、同年一〇月二九日に一応退院したものの、なお、頭痛、耳鳴、左難聴等の症状が残存し、同年一一月二一日に再入院して更に治療を受け、昭和四九年四月頃ようやく右症状も快方に向かつて退院し、以後左難聴、耳鳴等の後遺症を残して現在に至つている。

4  被告人の性格等

被告人の知能程度は、正常者と精神薄弱者の境界域にあり、一般的な知識、言語理解も貧弱であるが、注意力や見当識、記銘力については、いずれも、ほぼ正常値を保持し、格別障害は認められない。

しかし、性格的には、周囲の状況に敏感で不安傾向が強く、不慣れな場面に当面すると容易に不安になり自信を失なつて自己主張も出来ずに相手に同調するなど、いわゆる被影響性が強く、主体性の乏しい意思薄弱型である。

(二)  以上の認定事実を照らして考えるに、被告人が本件犯行の直前杉山から野球用バツトで頭部を殴打されたことにより受けた傷害は、前記認定のように顕著な客観的諸症状を伴う頭蓋底亀裂骨折であつて、その後長期間の入院加療を受けながら、現在なお左難聴、耳鳴等の後遺症を残していることからすると、被告人が杉山から受けた右暴行の程度は甚だ強度のものであつたというべく、右受傷直後被告人に何らかの意味での意識障害が生じたことは十分考えられるところである。しかも、被告人は、本件犯行後、右受傷による出血が一応おさまるや、保坂寅治と飲酒したうえ程なく自宅で就寝しているが、このような行動は、正常な認識のもとに本件犯行に及んだ者の行動としてはまことに不自然というほかなく、かつ、被告人が捜査の当初の段階において、杉山からバツトで頭部を殴打された直後の本件犯行については全く記憶がない旨、のちの公判段階における供述とほぼ同旨の供述をしていたことを併せ考えると、被告人が公判段階において述べるように被告人に本件犯行状況についての記憶欠損の存在する疑いが極めて強いといわなければならない。

ところで、被告人は、本件犯行の翌日、佐々木チヨに対し本件犯行を自認するかのような趣旨のことを述べており(もつとも、このときの被告人の言動は直ちに本件犯行の自認といえるほど明確なものではなく、かえつて、杉山に対して何をしたのかの記憶が明らかでなかつたために、「俺がやつたようだ」という曖昧な表現しかできなかつたとみることも可能である。)、また、警察での取調べの進展に伴い、捜査官に対して次第に本件犯行状況を具体的に述べはじめ、遂には前記各供述調書にみられるような相当詳細な供述をするに至つているが、〈証拠〉によれば、被告人は右のような言動に出る以前、既に自宅台所の流しの下に血痕の付着した繰小刀を発見していたことが認められ、右小刀の存在や保坂フミから聞き知つた杉山の死亡の事実並びに杉山からバツトで頭部を殴打された記憶等に基づき、その間の事情を推測して被告人が右のような言動に及んだと云える余地が十分あるうえ、さきに認定した取調べの状況及び経過、当時の被告人の身体状況並びに被告人の知能、性格などを考え併せると、右捜査段階での被告人の供述は信用性に乏しく、右言動や捜査官に対する供述をもつて、直ちに前記疑いを払拭することは困難である。

なお、保坂フミの検察官に対する供述調書中には、被告人が本件犯行直後保坂寅治方に赴いた際、保坂フミに対し「タツコ、この辺りで死んだかも知れない」と述べた旨の供述記載があるが、〈証拠〉によれば、警察での取調段階や公判段階では同人が右趣旨の供述をした形跡はなく、かつ、右公判調書中の供述部分から窺われる同人の供述態度等に照らすと、右検察官に対する供述調書中の記載部分は、にわかに信用しがたいものというほかない。

四〈証拠〉によると、被告人の本件犯行状況についての記億欠損は、杉山からバツトで頭部を殴打された直後からせいぜい一〇分程度にわたるものであり、その前後の状況についてはほぼ正常な記憶が保たれていることが認められるほか、さきに認定したとおり右記憶欠損時における被告人の行動は、外観上ある程度の秩序を保ち、必ずしも単純とはいえない態様のものである点にその特徴が見出される。そして、このような記憶欠損の状況やその直前の杉山の暴行により被告人が受けた傷害の部位程度、及び当時の被告人の飲酒状況等に、〈鑑定人近藤重昭、同浅井昌弘各作成の鑑定書などの証拠〉を彼此総合すると、被告人は、本件犯行当時、飲酒による単純酩酊状態にあつたところに、杉山の右暴行による頭部外傷(脳振盪)が加わつて一過性の意識障害を生じ、器質性もうろう状態に陥つていた疑いが強く、このような状態のもとでは、一見秩序ある行動としての外観を呈していても、その行為者の意識の領域は強く狭窄され、正常な意識状態下における判断力や批判力は失われていて、行為の是非善悪を弁別し、それに従つて行動する能力が全く欠けている状態にあることが認められる。

そうとすると、被告人の本件犯行時における被告人の精神状態については、刑法三九条一項所定の心神喪失の状況にあつたことを疑わせる合理的な理由があるというべきであるから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言い渡しをすることとし、主文のとおり判決する。

(谷村允裕 湖海信成 板垣千里)

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